突然ですが、みなさんはカンボジアでの内戦や地雷のことについてどれだけ知っていますか?
おそらく、多くの人の中でのカンボジアのイメージは「アンコール・ワット」や「ポル・ポト政権」、「日本に比べて物価の安い国」、「発展途上国」などではないかと思います。
1970年から1991年までカンボジアでは内戦が続いていました。
その内戦時に埋められた地雷や爆発することの無かった不発弾が、今でもカンボジア国内には数百万個処理されずに残っていると言われています。
正確な数が分からないのはそれだけ内戦時に多くの地雷が埋められてしまったり、不発弾が残っているため。
カンボジアのシェムリアップ郊外にはカンボジア内戦、地雷・不発弾のことについて学べる「CMAC地雷除去平和博物館」という施設があります。
僕自身たまたまこの施設を見つけたのですが、とても良い施設だったので「CMAC地雷除去平和博物館」について紹介していきたいと思います。
カンボジアで起きた内戦
カンボジアの内戦の歴史については、こちらの記事で詳しく書いているので書きませんが、
カンボジアの歴史から学ぶポル・ポト政権による大量虐殺!
カンボジアの内戦は1970年3月18日に起きたロン・ノル首相によるクーデターから始まります。
このクーデターが火種となりカンボジアは20年近く内戦が続く国となってしまうわけですが、ロン・ノル首相によるクーデターがなければ、もしかしたらカンボジアの歴史は変わっていたかもしれません。
ロン・ノル政権、ポル・ポト政権、ヘン・サムリン政権と続き、1991年のパリ和平協定によってカンボジアで長く続いた内戦が終結したのでした。
この和平交渉の結果として成立した「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定」の要点は次のようになっています。
1.国連安全保障理事会は、文民と軍人による国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)を設置する。
2.カンボジア最高国民評議会(SNC)を移行期間中のカンボジアを代表する唯一の合法機関と見なす。
3.政治的な中立を確保するために、国連は行政機関などを直接管理下に置く。
4.SNC議長(シハヌーク)は、SNCがUNTACに行う助言を決定する。
5.SNC議長が決定できない場合は、決定権を国連事務総長の特別代表に委嘱する。
6.カンボジア4派(ヘン=サムリン派、シハヌーク派、ポル・ポト派、ソン=サン派)は、武装勢力の七割削減に同意する。
7.総選挙は、各州ごとに比例代表制で行う。調印国は、当事国カンボジアと、オーストラリア、カナダ、中国、フランス、インド、日本、ソ連、イギリス、アメリカ合衆国、ユーゴスラヴィア、およびASEAN諸国(ブルネイ、インドネシア、ラオス、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ヴェトナム)の19ヵ国。
パリ和平協定によってカンボジアで長く続いた内戦は終わりを迎えたものの、カンボジア国内には地雷や不発弾という負の遺産が多く残ることとなりました。
これは内戦前の1954年に撮影されたカンボジア国内にある銀行の写真。
そして、これが内戦後の1975年に同じ場所で撮影された写真です。建物が崩壊してしまっているのが、写真から分かると思います。
このようにカンボジア国内は内戦によって様々な被害を受けました。
独立行政法人 国際協力機構(JICA)によると、
カンボジア国(以下「カ」国)には、長い内戦の結果として数百万個の地雷と不発弾が未処理のまま残っており、地雷・不発弾汚染大国といわれている。全農村の40%以上が汚染され、農民の40%以上、約500万人の人々がその脅威にさらされている。これらの地雷や不発弾による被災者は年間800人を超え(2006年以降減少に転じ、2008年は266人)、経済復興、特に農村地域の開発の足かせとなっている。
引用:https://www.jica.go.jp/project/cambodia/0701732/outline/index.html
全農村のほぼ半分が汚染されてしまっている現状に驚きます。
都市部では地雷の警告マークを見かけることはありませんが、郊外に行くと地雷の警告マークを目にする機会があるそうです。
JICAの発表した資料によると地雷・不発弾被災者数は年々減少しているようで、1999年は1154人だったのに対して2015年は111人と被災者数がかなり減少していることが分かります。
これもCMACを始めとする地雷除去に関わる機関とそれを支援している国や組織の成果が出たからなのではないでしょうか。
シェムリアップ郊外にある「CMAC地雷除去平和博物館」
2017年7月6日にCMACの「地雷除去平和博物館」がオープンしました。
シェムリアップで地雷のことについて学べる施設といえば、ガイドブックなどにも掲載されていたアキー・ラー氏が館長を務めていた「地雷博物館」が有名だったと思うのですが、
2018年8月27日に起きた火災事故によって閉館してしまったみたいなんです。
実はCMACの地雷除去平和博物館は、この記事を書いている時点ではまだあまり情報がありません。
公式サイトもなければ(職員の方がFacebookページはあるって言ってましたが)、地球の歩き方にも掲載されておらず、しかもシェムリアップ郊外にあるためか、他の方のブログを見ると街の人もこの施設について知らない人が多いようです、、、。
地雷除去平和博物館の場所はこちら↓
CMAC地雷除去平和博物館はシェムリアップ市内からトゥクトゥクで片道約40分の場所にあります。
シェムリアップ郊外の遺跡である「ベン・メリア」に行かなければ、なかなかこっちまで来ることはないと思いますし、国道6号線からは見つけにくい離れた場所にあるのでツアーとかではない個人観光客は来にくいかなという感じはありました。
ツアーなどでもよく利用されていたアキー・ラ―氏の地雷博物館ですが火災事故により閉館してしまったため、今後はCMAC地雷除去平和博物館がツアーなどに組み込まれる可能性も出てくるのかなという感じです。
政府機関CMACとは?
カンボジア国内の地雷・不発弾除去の中心的役割を果たしているのが、政府機関であるCMAC(カンボジア地雷対策センター)です。
カンボジア国内の地雷や不発弾除去はCMACの他にもカンボジア軍やHalo trust MAGというNGOが行っているそうで、その中心的存在なのがCMACなんだそう。
CMACの行っている活動としては、
- 地雷、不発弾の調査やマーキング
- 地雷、不発弾の除去
- 地雷、不発弾の危険性を子どもや農村部の方に教育
- 地雷、不発弾を除去する人材の技術訓練や研究、除去機材の開発
の4つとなります。
施設内にはCMACの行っている活動が書かれた資料や技術訓練などで使われている道具なども展示されています。
ここには載せませんが、地雷・不発弾除去によって命を落としてしまった職員の方の写真も展示されており、地雷・不発弾除去には常に命の危険がつきものであると感じるとともに、
犠牲者を無くすために地雷・不発弾を安全に除去できる機材の開発がされることを願うばかりでした。
CMAC地雷除去平和博物館では混雑していなければ、職員の方がとても丁寧に施設内の展示品などについて説明しながら一緒に回ってくれます。
ほんとに丁寧で約2時間休憩なしでずっと展示品の説明などをしてくれました。
対応言語は英語とクメール語のみとなっているので、展示されている物について詳しく知りたい方は日本語ガイド付きツアーなどを探してみるのがいいかと思います。
「CMAC地雷除去平和博物館」には地雷・不発弾に関しての展示品がとても豊富
CMAC地雷除去平和博物館にはかなりの数の展示品があり、敷地もとても広大です。
広大は少し言い過ぎですが、思っていた以上に広かったです。たぶん、東京ドーム1,5個分はありそうな感じでした(笑)
いつかは敷地内に飲み物を売ったりする場所を作ると言っていましたが、僕が訪れた時には敷地内と博物館周辺にも商店などがなかったので、飲み物などはシェムリアップ市内で購入しておくことをおすすめします。
地雷除去の手順と地雷除去の際に使われるマーキング
施設内に入るとまず見えてくるのが、地雷除去に関して学べる場所です。
ここでは地雷・不発弾がどのように残っているのかが再現されており、地雷除去をする際の手順や地雷除去で使われるマーキングなどについて職員の方が説明してくれました。
まずは地雷除去の手順について説明してくれ、
地雷発見者からの通報や地雷原と思われる場所を周辺住民からの聞き込みで特定
↓
地雷除去に邪魔な物を処理(低木や雑草)
↓
金属探知機による探査
↓
反応があった場合はマーキングし地面を掘る
↓
地雷だった場合にはその場で爆破処理するかまとめて爆破処理をする
のような流れで地雷除去作業は進んでいくそうです。
金属探知機での探査で反応があった場所は地面を掘っていくわけですが、その時点では地雷なのかその他の金属に反応しているのか分かりません。
金属探知機に反応した場所はヘラのような物で地面を掘っていくのですが、垂直にヘラを突き刺すと地雷に当たり爆発する可能性が非常に高いため斜めからヘラを入れていくそうです。
地雷をその場で処理するか他の場所へ移してまとめて処理するかは状況に応じて判断するそうで、その場で処理する場合は地雷に爆薬をセットして離れた安全な場所から処理をします。
逆に他の場所に移してからまとめて処理をする場合は地雷の起爆装置を外してから回収するそうです。
地雷処理の詳しい方法については、らくなちゅらる通信というサイトにて掲載されており、
従来の方法は、1人の地雷撤去作業員が1m幅を金属探知機で確認して、少しずつ前進していくやり方でした。新しい方法では、約10mのロープを2本、赤いロープを手前に、青いロープを60cm向こう側へ置き、2本のロープの間の両端と真ん中に60cm棒を3本置きます。その範囲の中を金属探知機で確認していきます。60cmの棒は、手前50cmは赤、その先10cmは白に色が分けられています。これは、金属探知機の探知できる範囲を明確にするためで、金属探知機の丸い円盤の、先の部分10cmは探知ができません。この範囲を探知した後、赤い部分の50cmだけ前進していきます。取り残しがないように、このロープと棒でマーキングした範囲を、確実に金属探知機で探知していかなければなりません。このように横幅10m、縦50cmの部分に金属探知機を当てていき、金属の反応があったところに、丸い印を置いていきます。1度この範囲内を探知し終わった後、丸い印の置いてある場所を、1ヶ所ずつ発掘していきます。
新しい撤去作業は、一度に金属探知機で多くのスペースを探知してしまうことで、1人の地雷撤去作業員が、金属探知機と掘削する道具を取り替える作業の回数を省くことができます。それによって撤去作業員の労力と時間の効率化を図っています。引用:https://prema.binchoutan.com/r-natural/cambodia/cambodia_vol58.html
この色のついた綺麗な棒は地雷除去の際にマーキングとして使われる棒。
それぞれ使われる用途が細かく決まっているそうなのですが、あまり理解ができず詳しくは分かりませんでした。
マーキングの種類が多いように感じますが地雷除去はとても危険な作業でもあり、ちょっとしたミス1つで命を落としてしまう事もあります。
それだけに、マーキングも金属探知機による探査が終わった際や地雷を発見した場合このマーキングの半径何mは探査が終わっていますなど細かく分けられているようです。
マーキングの説明が終わると職員の方がこっちに来てごらんと呼びました。
職員「ここに地雷があるんだけど分かるかな?」
僕「ん~」
職員「見つけづらいでしょ?」
職員「ここだよ」
僕「んっ??」
僕「あった!!こわっ!!」
職員「普通の何もない地面にも地雷は埋めるけれど、こういった目視では見つけにくい場所や攻撃から隠れられるような場所の近くにも地雷は設置されるんだ」
職員「しかも、人が隠れていそうな岩場などにはロケット弾なども多く撃ち込まれたから、不発弾なども多くて危険なんだよ」
戦闘地域では昼食時や一時休憩の際に暑さを少しでもしのぐ為に日陰に入ったため、日陰には地雷が多く埋められているという話もしてくれました。
職員の方が話しているように銃弾などの攻撃から身を守れる岩陰などにはロケット弾も多く撃ち込まれたために不発弾もとても多いそうです。
また、仕掛け爆弾なども戦場では仕掛けられたそうで地雷除去作業の際にはそういった事にも気をつけなければいけないそうです。
写真は草むらの中にピアノ線のような細い糸が張られており、それに足を引っかけると正面にあるロケット爆弾が下に落ち爆発するという仕掛けです。
さまざまな種類の地雷・不発弾が展示
地雷といえばドーナッツ程の大きさを皆さんは想像するかもしれませんが、ひとくちに地雷と言っても大きさ・形は地雷によって異なり、ドーナツ程の小さい地雷もあればタイヤ程の大きな地雷も存在します。
地雷は大きく分けて、
- 対人地雷
- 対戦車地雷
の2種類に分けられます。
対人地雷は人に対して使用し対戦車地雷は戦車やトラックなどの車両に対して使用。
対人地雷の恐ろしい点は、
- 人を殺すことを目的に作られていないこと
- 除去しなければ長い間その場所に残り続ける
- 非常に安価なため大量生産ができ設置もとても簡単
な点です。
僕自身この博物館を訪れるまでは、地雷は人を殺すために作られているんだという大きな勘違いをしていました。
しかし、実際には他の兵器と違って地雷は人を殺す為に作られてはいません。
もちろん、地雷によって命を落とすこともあると思いますが、作られる目的は違います。
では、どのような目的で地雷が作られているのかというと相手を負傷させる事を目的としています。負傷と言っても普段私たちがする擦り傷などの優しいものではなく、手足などを吹き飛ばすこと。
地雷は負傷者を増やして敵の兵力・その国の経済力を奪うことを目的としています。
あえて殺さず負傷させる事で、負傷者に多くの人手・資金を使わせ敵の兵力・その国の経済力を奪うのです。
戦争が終わった後もその国の経済力を低下させ続けることも可能になります。
これ聞いてゾッとしませんか?人間ってこんな事考えるんだと僕はもの凄く恐ろしくなりました。
上の写真の中には対戦車地雷が隠れているのですが、どこにあるか分かりますか?
中央に大きな物体が埋められているのが確認できると思いますが、これが対戦車地雷です。
かなり大きな地雷だということが写真からも伝わるかと思います。
見やすくする為にわざと半分出していますが実際には地雷全体が埋まっており、目視では確認しづらくなるように埋められています。
さらに、金属探知機に検知されないように地中深くに埋めてその上に丸太のような棒を立てる、その上を車輌が通ると爆発するように仕掛けをしている場合もあるそう。
知っている方も多い有名なクレイモア地雷。中には炸薬と小さな鉄球が数百個と詰められており、爆発とともに鉄球を前方へと飛ばします。
この写真は地雷を踏んで爆発した車です。もはや車であったのかも分からないほど原型をとどめておらず、地雷がどれほど恐ろしい物であるか気づかせてくれる展示物ですね。
ちなみに、この車に乗っていた人は地雷を踏む直前に地雷に気づき、車から飛び出したので助かったそうです。
他にも農作業中に地雷を踏んでしまったであろう農作業用の重機なども展示されていました。
ミサイルや大型の爆弾、金属探知機なども展示
CMAC地雷除去平和博物館の敷地にある建物内には地雷・不発弾以外にもロケット弾や銃器、爆弾、ミサイルなども展示されています。
建物内はカンボジア内戦の歴史、地雷除去の際に使われる道具の展示エリアなど6~7程のエリアに分かれていました。
写真右にある大きな鐘のような物は無誘導爆弾や自由落下爆弾と呼ばれ、航空機から投下される爆弾を言います。
こんな物が空から落ちてくるなんて想像できますか?実際の戦場ではこうした爆弾が投下されます。
クラスター爆弾は航空機から投下されたりロケットなどで発射される爆弾です。大型のコンテナの中に無数の小さな爆弾が入っており、空中でコンテナが開き小さな爆弾が広範囲に広がるようになっています。
広範囲に被害を与えるだけではなく、爆発せずに不発弾として地上に残ってしまう物も多いそうです。
後半のエリアでは地雷除去で使用する機材や防具などが展示されています。
展示されているものの多くには日本の国旗が付いており、地雷除去に関して日本が機材などを支援しているのが分かります。
日本の地雷除去支援
日本はカンボジアに対してインフラ整備であったり資金面での様々な支援をしています。
地雷除去に関しての支援もしており、CMACに直接支援している国の中では日本が最大の援助国らしく、日本って小さい国ですけど改めてすごいなと思いました。
案内してくれたCMACの職員の方も日本には本当に感謝していると言っていて、日本人としてとても嬉しかったです。
政府だけではなく日本企業である日建やコマツ、日立なども地雷除去に必要な大型重機、金属探知機、保護防具、資金の寄付などをしています。
実際にこの博物館内には日本企業が寄付し、実際の地雷除去の現場で使われていた大型重機なども展示されています。
世界では今この瞬間にも地雷・不発弾によって多くの命が失われている
地雷はとても安価に大量生産でき、設置もとても簡単です。世界中で地雷が多く使われている背景もこういったことが理由なのです。
しかし、地雷を撤去するには埋めた時の何倍もの労力・費用がかかり、もちろん地雷・不発弾撤去には常に命の危険も付きまといます。
それでも、カンボジアでは今も多くの人たちが地雷のない安全な国にする為に命をかけて地雷・不発弾を撤去している。
自分の訪れた国の歴史や抱えている問題を知ると、何か自分に出来ることはないのかと考えてしまいますよね。
僕の場合はそういった事を考えていくと、今の自分では実現不可能な大きなことを考えてしまいます。
それは決して悪いことではないのですが、小さなことでも救える命はあるという事です。
例えば少額の募金、この国はこういった問題を抱えているんだよという事をSNSで発信してみるなど、小さなことから初めていくのがいいのかなと思います。
数百円、数千円募金するだけでも地雷や不発弾の被害に合う人を減らすことだって出来るかもしれませんし、SNSで発信することで他に募金してくれる人だって出てくるかもしれません。
1円玉が1万枚集まれば1万円となるように、小さなことも沢山集まれば大きなものとなります。
小さなことが平和を実現する第一歩となるのかもしれませんね。