ポル・ポト政権と関連が深い「キリングフィールド」「トゥールスレン博物館」について解説!

カンボジアにはとても悲しい歴史があります。

それは悲しいという言葉で表すには軽く、自分たちと同じ人間が行ったとは思えないほど悲しく残酷な歴史です。

そんな歴史を作ったのがポル・ポトという人物。

皆さんも1度は聞いたことがある名前かもしれませんが、今から40年程前にカンボジアではポル・ポト政権によって大量虐殺が行われていました。

  • 知識人は必要ないから全員殺せ
  • 自分たちに反抗する者は殺せ
  • 学校、病院、宗教、貨幣などは必要ないから廃止しろ
ポル・ポトという人物はカンボジアの未来を奪い、現在でもその時行ったことの影響を受けています。

カンボジアを訪れた際に必ず行ってほしい場所が、プノンペンにある「キリング・フィールド」と「トゥール・スレン博物館」。カンボジアで行われていた大量虐殺と関連のある場所であり、当時どれだけ残酷なことが起きていたか知ることができます。

今回は、当時これらの場所でどのようなことが行われていたのかを写真とともに詳しく解説していきたいと思います。

カンボジアの歴史を詳しく知らない方はまずこちらからご覧ください。

カンボジアの歴史から学ぶポル・ポト政権による大量虐殺!
注意
ここから先は当時の残酷な写真などが掲載されています。苦手な方はTABIHATEトップページにお戻りください。

ポル・ポトという人物

一番左上の人物がポル・ポトで、その下に展示されている写真はトゥール・スレン強制収容所の所長カン・ケク・イウ(ドッチ)です。

実は、みなさんが知っているポル・ポトという名前は偽名で本名はサロト・サルといいます。なぜ偽名を使っていたのかというと、ポル・ポトは裕福な農家の生まれでいわばエリートでした。本名を名乗ることで上流階級の生まれだとバレ、それだと都合が悪いので偽名を使っていたそうです。

ポル・ポトはフランス留学中に共産主義に出会い、カンボジアの首相になってからは原始共産制という共産主義の理想を実現しようとするのでした。

原始共産主義とは「大昔にも共産主義があったのではないか?」という考え方です。実際にこのような時代があったのかは不明ですが、あくまでそういう時代があったのではないかという考え方。

ただ、理想の国を作るためにポル・ポトが行った政治はとても残酷なものでした。

「みんなで肉体労働をやって、みんなで食べ物を分け合うべきだよ。だから都市に人は必要ない!」

プノンペン市民全員を地方の農村へと強制移住させ、休みも食事もろくに与えず強制労働をさせました。そして、お金は必要ないと貨幣の廃止。学校、病院、宗教なども廃止や禁止としました

知識人は自分たちだけで十分だと考えたポル・ポトは知識人を全員殺していきます。学校の先生などはもちろんのこと、眼鏡をかけているだけで全員知識人と判断し殺したのです。

こうしてポル・ポトはゼロから新しい社会を作ろうと考えたのでした。

トゥール・スレン博物館

ポルポト政権に対して反抗した者、不満を言った者、スパイ容疑などの無実の罪をかぶせられた人たちを連れてきて、ポル・ポト政権の治安警察サンテバルが尋問・拷問・虐殺していたのがプノンペンにあるトゥール・スレン強制収容所(S21)です。

ここの所長を務めていたのが、先ほど出てきたドッチという人物です。

もともと高校の校舎として使われていた建物を強制収容所として転用したこともあり、外観や建物内をみると学校として使われていた当時の面影が残っていたりもします。

正確な数字は出ていませんが、1万~2万人がここに収容され生き延びたのはたったの7人だったそうです。そこから分かることは、「ここへ連れて来られたら生きて帰ることはできない」という恐ろしい場所だったということ。

さらに衝撃なのが、ここで拷問・尋問を行っていた多くが幼い子どもだったということです。ポル・ポト政権は、知識があまりなく自分たちの思い通りに洗脳できることから子ども兵士を育て多くの場所で利用していました。

尋問室として使われていた棟、当時の資料を展示している棟、独房として利用していた棟など敷地内には4棟の建物が建っています。

本当にこの場所で残酷なことが行われていたのかと疑ってしまうほど穏やかな空気が流れていますが、一般公開されたばかりの頃は多くの人が自分の家族の安否を確認しに訪れていたり、建物内は死臭もかなり漂っていたそうです。

尋問・拷問部屋

建物内にはこのような鉄製のベッドが置かれた尋問・拷問部屋がいくつかあり、ここで罪のない人達が尋問・拷問を受けていました。もちろん鉄製ベッドには柔らかいマットレスなどは敷かれておらず、そのままの状態で縛り付けられたのです。

部屋には鉄製のベッド以外にも足枷や当時の写真が展示されており、当時の尋問・拷問後の様子を写した白黒写真は思わず目を背けたくなるほど残酷でした。

床を見れば当時付いたと思われる乾いた血のようなものも残っています。

部屋も明るく外からはバイクや車の音が聞こえましたが、この空間はとても空気が重かったです。

当時の尋問・拷問後の写真。白黒ですが当時の様子がはっきりと分かります。

罪もない人を痛めつけ、尋問・拷問の苦痛から事実とはかけ離れた自白をさせられ、全く身に覚えのない罪で殺されました。何万人もの罪のない人の命をこういった残酷なことで殺してしまえる理性が全く分かりませんでした。

実際に使われていた数々の拷問器具

実際に使われていた拷問器具もいくつか展示されており、それぞれの拷問器具の使用方法がイラストで描かれていました。

写真左の器具は身体を台に縛りつけ皮膚などを裂くための拷問器具で、右は身体を水に沈めるための拷問器具です。

自分に身に覚えのない罪だとしても認めなければ幾度となく尋問・拷問が繰り返され、その苦痛から逃れるために罪を認める人も多かったそうです。

拷問器具は建物の中だけではなく外にもあり、これは水の入った甕に顔を沈める拷問器具として使われていたようです。

この強制収容所の中では1番大型の拷問器具だったと思われます。

ナイフや斧などの割と小さめの拷問器具も展示されています。

どのように使われていたか分からない物もありましたが、全て実際に使われていた物だそうです。

連れて来られた人たちが実際に着ていた衣類も展示されていました。

狭く暗い独房で過ごす日々

次に訪れたのは独房のある棟。部屋の壁には穴が空けられ棟の端から端が一本の道でつながっていました。

各部屋には狭い独房が沢山作られ、1つ1つの独房はとても狭い作りになっています。

独房はレンガ造りと木製の2種類。どちらもしっかりと作られてはおらず、とても簡易的に作られているのが分かります。

昼間は日光が室内に差し込んで写真のように明るかったのかもしれませんが、日没後は電気もなかったため真っ暗だったに違いありません。こんな空間でいつ拷問・尋問されるのか分からない状況を待っていたと思うと言葉が出てきませんでした。

独房のある棟にはこのように逃げ出せないよう有刺鉄線が張られています。

拷問・尋問を受けた犠牲者たちの写真

最も足を踏み入れるのを躊躇したのがこの場所。室内にはここに連れて来られのちに殺されてしまった人達や尋問・拷問後に亡くなった時の写真が展示されています。

写真を通してですが、犠牲になった人たちの顔を目の前で見ることになります。

この収容所には性別年齢関係なく連れて来られたので、写真の中には小さな子どもも見受けられました。犠牲者の写真を見ていく中で、なぜこんなにも残酷なことが出来たのだろうと思うばかりでした。

本を売っていた男性は生還者の1人だった

敷地内にある売店に立ち寄ってみると、1人の男性が本を売っていました。なんとその男性は、トゥール・スレン強制収容所を生きて出た1人であるChum Manhさんという方でした。

約1万~2万人がこの場所に連れてこられ、実際にこの監獄を生きて出たのはたったの7人(後に出てきた文書から100人程いたという説もあります)。

何冊か本を売っていたのですが、その中から1冊を選び購入。写真撮影に応じてくれ、購入した本にサインも書いてくれました。

キリング・フィールド

カンボジア内にはキリング・フィールドと呼ばれる処刑場所がいくつも存在し、その中でも1番有名でガイドブックなどにも掲載されているのがチュンエクのキリング・フィールドです。

ここはトゥール・スレン強制収容所に収監されていた人たちが処刑された場所で、プノンペン市内からトゥクトゥクで30分程の場所にあります。

有料で日本語音声ガイドも貸し出しているので、ここでの出来事を詳しく知りたい方は利用してみてください。

写真の大きな慰霊塔には、ここで見つかった頭蓋骨が供養されています。

罪のない人たちを1日に数百人連れてきて処刑

ここを処刑場として使い始めた頃は、トゥール・スレン強制収容所から数週間に1回の頻度で罪のない人を乗せたトラックが来ていたそうですが、徐々に毎日来るようになり最終的には1日に約300人がこの場所に連れてこられ殺され埋められたそうです。

この場所に連れて行く際には、パニックになるのを避けるために他の場所に移動するだけだと伝えていました。

最終的には1日に数百人もの人をこの場所で殺していたのに、驚いたことに近隣に住んでいた人はここで起きている残酷な出来事に気づいていなかったそうです。

正直そんなことあり得るのかと思いましたが、処刑する際の声などを消すために木にスピーカーを吊るし音楽を流していたりもしたそうなので、近隣に住んでいた人たちは少し周りが騒がしいとしか感じていなかったのかもしれませんね。

多くの人を処刑した場所でもあるため、ポル・ポト政権が終わりこの場所が見つかった時は死臭が凄く想像を絶するものだったと言われています。

広大な敷地にはいくつもの大きな穴

敷地内を歩いていると地面に無数の大きな穴が開いていることに気がつきます。

「なんでこんなにも穴が開いているんだろう?」と不思議に思っていたのですが、音声を聞いているうちにその答えが分かりました。この穴は実際に遺体が埋まっていた場所を示していたのです。

この穴の大きさと数から、いかに多くの人が埋められていたのかが分かりますよね。しかし、実際には掘り起こされていない所も沢山あり、この敷地内には今でも多くの遺体が埋まっているんだそうです。

そして、処刑をする際に使われていたのは斧やハンマーなどコストのかからない道具だったそうで、銃などはコストが高いために一切使わなかったんだとか。

赤ちゃんを殺すための「キリング・ツリー」と大音量の音楽を流していた「マジック・ツリー」

家族の絆を嫌っていたポル・ポトは家族が殺され恨む者が出てこないように、殺した者の家族や親せきなども排除の対象としていきます。

赤ちゃんが大人になり自分の親を殺した自分自身(ポル・ポト)や政権を恨むことがないように、生まれて間もない赤ちゃんも殺すように命じていたのでした。

上の写真は赤ちゃんを殺す時に使われていたキリング・ツリーと呼ばれる木。赤ちゃんの両足を兵士が持ち、この木に頭を叩きつけていました。

こちらは、殺される人たちの声をかき消すために音楽を流すスピーカーを吊していたマジック・ツリーと呼ばれる木です。

この場所で行われていることを外部に悟られないようにするために、処刑される人たちの声を大音量のスピーカーなどでかき消していたそうです。

シェムリアップのキリング・フィールド

キリング・フィールドはカンボジア全土で確認されており、その数実に300ヵ所以上というから驚きです。

有名なのは先ほど紹介したチュンエク村のキリング・フィールドですが、実はシェムリアップにもキリング・フィールドがあります

ワット・トゥメイの敷地内にあり、こちらのキリング・フィールドの入場料は無料です。チュンエクのキリング・フィールドに比べると広さはなく、ワット・トゥメイ本堂の見学を入れても30分程で敷地内を回れると思います。

個人で訪れている方はほとんど見かけず、海外からの団体ツアーが多い印象を受けました。

写真と英語で書かれた説明パネルがあるのみで、ここでは日本語音声ガイドなども貸し出していません。詳しく知りたいという方は、日本語スタッフ同行ツアーなんかを探してみるといいかもしれませんね。

ワット・トゥメイの本堂。本堂内の見学も可能です。

ここで見つかった人骨や遺品が安置されている慰霊塔。プノンペンのキリング・フィールドと同じくシェムリアップにもありました。

敷地内にあるこの建物は当時刑務所として使われていた建物で、現在は僧侶の宿泊場所として使われているそうです。

日本が支援して建てた僧侶学校のような建物もありました。

まとめ

カンボジア人がカンボジア人を殺した。とても悲しく残酷な歴史がそこにはありました。

ポル・ポトがゼロから作ろうとした新しい社会は結果的に多くの罪なき者を殺し、多くの人を悲しませ、今なおカンボジアにその当時の傷跡を残すこととなりました。

ポル・ポト政権を学んでいく中で感じたのは「ポル・ポトは一体何がしたかったのだろう?」という疑問。

本当にゼロから新しい社会を作るために、こんなにも常識とかけ離れたことをしたのでしょうか。ポル・ポトが亡くなってしまった今では本人から聞くことはできませんが….。

キリング・フィールドとトゥール・スレン博物館は実際に拷問や処刑が行われていた場所なので、生々しくて目を背けてしまうかもしれません。それでもカンボジアを訪れた際には必ず行ってほしい場所だと思っています。

その理由は、実際に自分の目で見て感じたことはこの先もずっと忘れないからです。歴史から学び、過去にあった悲惨な過ちを同じ人間として2度と繰り返さないためにも必要なことだと思います。

最後に、「ポル・ポト<革命>史~虐殺と破壊の4年間~」という本はカンボジアの歴史を知る上で参考になるのでおすすめです!

あとは、戦時下のカンボジアを知れる実体験系の本もおすすめですよ!

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